秋葉界隈で働く人のアニメレビュー

秋葉界隈のサラリーマンの思ったこと

最近のアニメでのGL化といわゆるBLの違いについて考えてみた

 最近のアニメを観て思うこと。

以前よりも明らかにGirl's Loveを入れ込んでくる作品が増えたんじゃないかと思う。

前から薄々この傾向については気付いていたが、改めてTVドラマでのBoy’s loveのヒットを受けて、性的マイノリティの議論と視聴者の求めている嗜好の違いについて考えをまとめようと思う。(まとまってないかもなので備忘録になるかもしれないが…)

 

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そもそも同性愛を描くこと自体これまではタブー化や背徳化されてきたと思う。

ただし、それぞれの作者・作品の表現や主義主張であればこれまでだって問題なく発表され、それが商業ベースでウケルのか、マジョリティによって判断されるのが常だったはず。

実際問題として、世のマジョリティの支持を得て同性愛の作品がヒットするのであればタブーでも背徳でも関係なくそのジャンルが確立していてもおかしくなかった。

でも実際はそうでなかったことはニッチでマイノリティの側だったと言わざるえない。

 

ここ10年で性的マイノリティであるLGBTが取り上げられるようになった。社会が寛容になったというよりは、タブー化することがタブー化したということではないだろうか。

しかし、私はこのことが転換期だとは思わない。

なぜなら視聴者は圧倒的マジョリティに存在しているが、決してLGBT側ではないからだ。

 

土曜ナイトドラマ『おっさんずラブ』|テレビ朝日

 

好意丸⾒え純愛 BL”「チェリまほ」赤楚衛二×町田啓太でドラマ化!10月8 ...

 

いまBLやGLというジャンルは認知されている。 

つまりマジョリティが作品としてBLやGLを認知しており、それは商業ベースとして受け入れられたということになる。

ではそのきっかけになったのは一体なんだったのか。

大きく寄与したのはやはり2016年に放送された「おっさんずラブ」だったのかもしれない。現在放送されている「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」(通称:チェリマホ)はその流れを引き継いだものと言えよう。

 ただし、ここでも大きな違和感が残る。

上記の作品は純粋なBLとしてマジョリティに受け入れられたのだろうか。私はそう思わない。あくまでイケメンとおじさんの取り合わせによるコメディ的要素の方が強いと思ったからだ。視聴者はあくまでコメディとして支持したのであって、ドラマにありがちな極端な設定としてのBLであろう。

ただし、BLの消費者としての女子とイケメンが好きなTVドラマの視聴者としてF1層(20~34歳の女性)F2層(35~49歳の女性)も重複していることから厳密な区分けは出来ないが、前者に流行を作るムーブメント力や発信力は乏しいことだけは理解できる。

つまり、ヒットしたBLドラマの視聴者は単純に応援したいという純粋な気持ちや違和感をコメディとして楽しみたい、それにイケメン的要素が加われば尚更良い、というストレートな受け取り方があるように思う。そこに視聴者の主観は少なく、微笑ましく見守るレベルであり、「直接加わりたい」、「触りたい」、「独占したい」という欲求は存在しないだろう。

 

では、同様にGLはどのように受け入れられているのだろうか。GLはTVドラマより、アニメに中で表現される機会が増えてきている。それは残念ながらまだ社会(文化)が男中心の構造にあり、実写ドラマでのGLの表現を受け入れられない環境だからかもしれない。その中での受け皿としてアニメが使われ、美少女たちの園においては寛容に受け入れられているのが実情である。

ではなぜアニメの中にGLが潜っていったのか。

(昔から背徳は、PCゲームやアニメとの親和性は高いけれど。)

それは深夜放送であっても地上波のアニメはハードな表現が出来ないからかもしれない。それを証拠にハードな性的表現は見たことがない。(暗喩としてはあるが直接的はない)

つまりソフトなGLなら作品として許容されている。この違いや理不尽さ(BLは表へ、GLは地下へ)は、やはりGLアニメの視聴者は男中心であることだろうと思う。それは女子高やガールズxxxという女子のみの園に美少女たちを束縛したいというメタファーを意味している。実際、劇中でイケメンに奪われるくらいなら、美少女同士のほうが許せる(男に奪われるくらいならまだまし)という独占欲がそうさせるのだろう。

(美少女を閉じ込めたい、汚されたくない)男のどうしようもない妄想の中でアニメが生まれ、実際主人公は社会不適合者や劣等感を持つ者が多い傾向もあり、男の主人公が出てこないケースは俯瞰的に同様の条件を引き継いでいるだけかもしれない。つまり男を安心させるレベルの、男のためのGL、結局は本当のGLではないということだ。

 

 

 

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要するに、BLもGLもジャンルとして存在しているが、商業ベースではマジョリティに受け入れられていない。はっきり言って独立テーマとして純粋にヒットしてない。

マジョリティである視聴者や消費者は、BLとGLの都合の良い部分をカスタマイズして要素として組み込んでいるだけなのである。

今期(2020年10月期)のアニメにも「安達としまむら」や「アサルトリリィ」などもGL系に括れるが「前者は友情の延長線」、「後者は女子同士のあこがれ」のためハードな表現は今後も期待できないだろう。

(そもそも私の意味するハードな表現、要するに肉体的繋がりはミスリードなのか。)

 

では、最後にこれから社会がもっと寛容になり、本当の意味のBLとGLを求めているか。

私は求めていないと思う。(ここまで書いておいても、やはり旧態依然で申し訳ない。)

よって商業ベースにおいてはマイノリティ化し、マジョリティにおいては一部の要素を取り入れるくらいがちょうどいいのかもしれない。 

 楽しみ方は人それぞれ、主義主張やLGBTやマイノリティという括りを持ち出すつもりはそもそもない。あくまでエンターテインメントの中の表現の話にすれば納得できるだろう。それにしてもアニメの中のちょっとしたGL要素は昔無かった表現のため、気になってしまうのは私だけだろうか。(いやいや、きっと気になっている人は多いと思う。)