久しぶりに「宇宙よりも遠い場所」を観て、忘れていた感情を思い出しました。
それは”めぐっちゃん”のこと。
消化しきれない友情の難しさと危うさに改めて心を打たれています...。
誰の心にもある”めぐっちゃん”を中心に考察していきます。
(出典:animatetimes.com)
0.宇宙よりも遠い場所
ここではあえて物語全容には触れません。
すでに「よりもい」を観了した人に向けた内容です。
以下、興味のある方は参考にしてください。
1.”めぐっちゃん”とは
主人公の玉木マリ(キマリ)の幼馴染の高橋めぐみのことです。
1話~5話と最終話に登場して物語の重要な役割を果たします。
報瀬のキャラクターが強烈なため一見忘れられがちですが、物語の最初の障害を作っていた影のフィクサーでもあります。
そして彼女自身も南極を通して大きく成長したキャラクターといえるでしょう。
(出典:宇宙よりも遠い場所 2巻 7ページ MFコミックスアライブシリーズ)
2.危うい友情と動揺
めぐっちゃんは幼稚園の頃から優柔不断なキマリにとって常にリードしてくれるお姉さん的関係でもあり、良き相談相手でした。
1話でも報瀬と出会う前のキマリの悩みに対して協力的な姿勢で口裏合わせをしてくれます。
キマリが報瀬と出会い、南極に向かって動き始める中でも冷静に南極へ行く難しさを説いたり、無理だと決めつけて放任する姿勢は変わりませんでした。
(出典:宇宙よりも遠い場所 2巻 16ページ MFコミックスアライブシリーズ)
しかし、徐々に具体的に南極への道を踏み出していくキマリに対して少しずつ動揺し始めます。
アニメ5話では、表面上の応援する姿勢と自分の手の中を離れていくキマリへの嫉妬と焦りが見え隠れします。
その上でキマリたちの情報をリークし、そのことが尾ひれをつけて悪い噂になってしまいました。
これは意図したことと意図しなかったことの両方があったと思います。
ただ単純な悪意ではないことはその後分かります。
もはや友情ではなく、完全な嫉妬と寂しさによる感情を上手くコントロールできない素ぶりがこの年頃の等身大の女子高生なのかもしれませんね。
それぐらい南極に行くということが突拍子もない出来事で、本当に実現すると思っていなかったからなのでしょう。
それは格下に見ていたキマリへの羨望でした。
3.キマリとの決別
いよいよキマリの出発の日の朝、めぐっちゃんが会いに来ます。
サプライズに喜ぶキマリの意に反していきなり絶交を伝えてきます。
それは懺悔とは違う、キマリとの決別でした。
(出典:宇宙よりも遠い場所 2巻 44ページ MFコミックスアライブシリーズ)
驚くキマリに、自分がしてきたすべてを伝えます。
それでもまだキマリは状況がつかめません。
なんで?と繰り返すキマリに対して、いつも冷静だっためぐっちゃんがついに消化不良の言葉で返します。
「知らねぇよっ!!」
(出典:宇宙よりも遠い場所 2巻 50ページ MFコミックスアライブシリーズ)
4.めぐっちゃんの告白
昔から何かする時は絶対相談してくれたのに南極行きに関しては相談がなく腹が立ったこと。
自分に何もなかったから、キマリにも何も持たせなくなかったこと。
結局、キマリを通して得ていた安心感や安全圏は自分の保身だったこと。
キマリを応援するフリをして、温かいところから見下ろしていた自分こそ新しいことに挑戦していなかったこと。
(出典:宇宙よりも遠い場所 2巻 52ページ MFコミックスアライブシリーズ)
(出典:宇宙よりも遠い場所 2巻 53ページ MFコミックスアライブシリーズ)
すでにめぐっちゃん自身も自分がキマリに依存していたことを認めています。
友情という言葉でコーティングされていた依存のメッキが剥がれていくことで自身には挑戦する南極も踏み出す目標もなく、知らず知らずにキマリに羨望の感情を持ってしまったことを最後まで認めたくなかった。
でも、最後の日のキマリに会って、隠してきた感情を吐き出したいという欲求にかられたのでしょう。
5.結局めぐっちゃん はメタファー...
すべてを吐き出しためぐっちゃんに対して、キマリは許します。
それは南極に向かう目標へ踏み出したキマリにとって、過去のものであり、めぐっちゃんの告白自体を受け止めた結果でしょう。
一皮剥けた後ろ姿には後悔は見当たりません。そして許された心を浄化しためぐっちゃんにとって手の届かないところへ行ってしまった象徴的な別れになりました。
(出典:宇宙よりも遠い場所 2巻 61ページ MFコミックスアライブシリーズ)
めぐっちゃんはキマリのキャラクターの輪郭を付けるための重要な要素であり、成長の糧になりました。
ただ、めぐっちゃんとキマリのような依存しあう関係は私たちすべてにある感情なのかもしれません。
友達同士や兄弟姉妹、先輩後輩、教師と生徒、親子...。
いつの間にか発生した上下関係の殻から脱皮したときに感じる焦燥感と喪失感、羨望は少なからず経験があると思います。
つまりめぐっちゃんは視聴者そのものなのではないでしょうか。
めぐっちゃんのように告白して浄化されることの方が珍しく、実際は消化も浄化もされないまま今に至るケースの方が多いでしょうね。
そのめぐっちゃんをメタファーとして視聴者の心に落としてきたことは、置き去りにした過去の感情や後悔に対して胸に刺さってきました。
そしてめぐっちゃんが許されたことで、同時に救われたような感情を抱いたのは私だけでしょうか。
(メインの4人よりも、私はめぐっちゃんのほうにシンパシーを感じてました。)
どこからが友情で、どこからが依存、どこからが見下した上下関係なのかはそれぞれの環境によって変わると思います。
ただ、その境界線が見えるのはいつも関係が解消された後かもしれませんね。
最終話のめぐっちゃんが北極でオーロラを見た写真とピースサインが彼女なりの依存の浄化だったと感じました。
同時にめぐっちゃんとの別れはキマリたちが普通の女子高生から特別に変わるスイッチの役割になりました。
視聴者も日常から南極という極限の地への気持ちの切り替えの準備運動になったと思います。
その意味でも、いろいろあったけどめぐっちゃんは普通の象徴と視聴者代表だったのかもしれませんね。
(↓キマリの視点から考えると、この決別は成長のポイントですね。)
もう一度よりもいを観る方は、めぐっちゃんの視点から感じてみてはいかがでしょうか?
改めてめぐっちゃんの存在は「よりもい」の大切な痛みです。
(宵町めめさん作画のコミカライズ版から引用させて頂きました。
コミックス版もとてもよかったです。↓)