少年誌において伝説の作品として今もなお語り継がれるドラゴンボール(以下DB)。
DBがあったから生まれた作品や相乗効果もあれば、逆にDBの前例によって影を落としてしまった現象もあった。
あの当時少年だった私たちにとってDBとはいったい何だったのか。今一度振り返りたい。
ドラゴンボールとは
鳥山明原作、1984年から1995年まで週刊少年ジャンプで連載された長編作品。
アニメ・ゲームを含めた総売上は2019年時点で230億ドル(約2兆5000億円)に達する。漫画の発行部数は歴代3位、以下参照。
(引用:漫画全巻ドットコム)
最近ではLINEスタンプも発売中。
DBがみんな知っている共通言語だから成立するわけだ。
(引用:store.line.me)
2020年1月には新作ゲームも発売された。
要するにまだまだ現役のコンテンツなのだ。
【#ドラゴンボールZ KAKAROT】
— 「ドラゴンボール」家庭用ゲーム公式 (@dbgame_official) November 17, 2020
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1.DBの与えた影響
DB以降の漫画家で影響を受けていない者はいないだろう。少なくとも歴代漫画販売TOP10の中では「ワンピース」と「ナルト」もそうである。悲壮感や緊張感を除けば、今話題の「鬼滅の刃」もその系譜を受け継いでいる。
その中でDB以後の作品でもDB化が見られるようになった。
ストーリーの方向転換
当初のストーリーは「DBを7つ集めると願いが叶う」ことを中心に、DBをめぐるアドベンチャーだった。
しかし、途中からDBよりも主人公の悟空と仲間たちの成長と友情を描いたバトル漫画に変貌した。この変遷に関しては、以下当時の編集者の鳥嶋和彦氏のインタビューではっきりとした答えが記してある。
これほどの人気漫画で方向転換して成功したことは編集者と漫画家の関係あってこそのことだろう。
特に興味深いのが3頭身の悟空を大人の体に成長させた件、漫画家の意向といえども人気連載中に危険な賭けを見守る編集者の心境は計り知れない。
実際アニメをリアルタイムで観ていたときに、その瞬間の違和感が半端なかった記憶がある。しかし3頭身の可愛さから、もう後戻りできないバトル漫画への切り替えスイッチになったことで視聴者の違和感はすぐにバトルのほうへ向かい、違和感が埋まったことも覚えている。
親子のバトル漫画
週刊少年ジャンプの購買層からすれば、主人公に子供がいることや結婚していることは決して見せたくないタブーだった気がする。(急にリアルになり、物語に没頭できないからか)それはまだ漫画というエンターテインメントが子供のものと思われており、共感されないと考えられていたからであろう。
編集方針「友情」「努力」「勝利」をすべて兼ね備えた良作でありながら、どこか無機質で浮世離れした主人公が急に結婚しその子供が現れる展開。
3頭身のころから知っている視聴者としてもこの意外性に驚いた。
そして今となっては当たり前ともいえる、2世代で活躍する漫画の新しい道を示した。
2.悪影響したこと
何でもバトル化してしまう
DBのヒット後は、成功を受けてジャンプ内外でDB化の傾向が見られた。
例えば「幽々白書」は当初のラブコメと妖怪退治を含めたストーリーから、強敵のキャラクターを仲間に加えることで最終的にバトル漫画化した。
「らんま1/2」の後期も、編集部のテコ入れからか最終的にバトル漫画化して残念な気がしたことを覚えている。
DBが成功したのならば、他でもこのフォーマットをてこ入れ策として使えると思わせるくらいDBの影響が深くのしかかった。
「キン肉マン」も「るろうに剣心」も当初はバトル漫画ではないが、バトル漫画として数えられるのならば、やはりバトル漫画へ変遷したDB化なのだろう。
生き返りでの緊張感の欠落
DBばかりではないが、DBは特に主人公の死後の世界が修行の場になったことで、もはや生き返ることが前提での死になってしまった。
同時期の「聖闘士星矢」でも同様に死んだはずのキャラクターが再登場したり、やはり「幽々白書」が全く同じ系譜を辿る。
当時の週刊少年ジャンプは掟破りを繰り返すことで、視聴者からは「どうせまた生き返るんでしょ!」と思わせた。以下のサイトが400人のアンケートを実施し、DBが一位なったのもうなずける。
やはり読者・視聴者は緊張感も求めている。しかしながら、フォーマット化された安心感や予定調和はその後も多くの作品に引き継がれている。
3.残したもの
パラメーター化
今まで戦闘力についてのパラメーターは筋肉や服装(例えば聖闘士星矢のゴールドクロス)などの見た目以外は存在しなかった。要するにやってみなければ分からないのであり、少年誌においていえば身体的な大きさでの優位不利はなかった。(むしろ小が大を食うことが褒められる傾向が強い)
その中でDBのナメック星編での「スカウター」という道具は画期的だった。強さを数値化することは、主観性の溢れるDB作中に急に客観性をもたらせた。この客観性をパラメーター化することは以後の作品でも多く見られるようになった。相手を客観的に比較し、知る力をDBから学ぶとは夢にも思わなかった(笑)。
意外かもしれないが、DBに出てくるアイテムは今でも実現できないものだらけである。(ポイポイカプセルや1人乗り宇宙船は可能性があるが、仙豆は不可能かな)
「スカウター」はすぐにでも実用化されるても不思議ではない世の中になってきた。
人気作には作者が終わりを決められない
これも当時話題になったDBの終わり方である。稼ぎ頭だったDBが無くなれば販売部数も減ることは明白であり、編集者や出版社によって介入された感は否めない。
DBには3つ最終回があるといわれている。それは「フリーザ編」「人造人間セル編」「魔人ブウ編」のどこで終了しても不自然ではないくらい力を出し尽くしているからである。
また、強さのスケールが宇宙まで行ってしまうことでどこか視聴者を置いてけぼりにした恰好になった。(以下、もしドラゴンボールが○○編で終わっていたら 参照)
私自身は「サイヤ人編」でも終了タイミングは良かったとすら思っている。
このDB終了を機に「ハンターハンター」の富樫義博にような休載をする漫画家も出てくるようになり、「鬼滅の刃」のように人気絶頂で終了させることも良しとされる傾向に変わったのかもしれない。
4.終わりに
今のようなスマートフォンはおろか、インターネットすら無い時代はメディアの中心はTVであり、雑誌などの紙媒体だった。
週刊少年ジャンプは1995年3-4号の販売653万部(今もなおギネス記録)を期に、DBの終焉に合わせたかのように部数が落ちてきている。今現在は平均300万部ほどになっている。
(引用:mangaseek.net)
バブル経済の最中に生まれ、好況の中で消費された漫画の1つとして大きな転換期を作ったDB。功罪に関しては圧倒的に功の側面が大きいだろう。
それはその後の漫画家やアニメーターにとってDBは今でもなお共通認識・共通言語で語れる教科書的な役割でもあり、少年誌の象徴だからである。
(また最新にアニメの話題に戻りたい。)